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りくぼーの日記

近況、雑談、その他諸々を適当に綴っていきます

動物愛護を考えるなら

こんばんは。りくぼーです。

今日は体調などが余り優れず、基本的にずっと自分の部屋にいました。

Yahoo!ニュースを見ていたら、こんな記事を発見。

headlines.yahoo.co.jp

猫愛護団体が新基地反対運動をしているそうで。

とりあえず思うのは「猫、関係なくない?

何だか人間語が話せない猫を自分たちの主張に利用しているようで、イメージがよくありません。



ネコに優しい社会は人にも優しい」がキャッチフレーズみたいですけど、これにも違和感があります。

逆じゃないですかね?個人的には、

人に優しい社会は、猫にも優しい世界になれる

だと思います。

僕は以前、動物愛護の主張に関して違和感を感じるという内容の記事を書きましたけど、

rikubo3270.hatenablog.com

別に、動物愛護という考えを否定しているわけではないんです。

むしろ、素晴らしい考えだと思います。

全ての命に配慮できる優しさがあって、全ての命が共存できる社会になれば、それに越したことはないと思いますし、

食肉などにされる動物にも、できる限りの動物福祉が提供されればいいなと思っていますし。

でも、そういった社会になるには、まず人間がみんなそういったことを考えられる環境にならないといけないと思います。



動物愛護を唱える方々や、僕がこうやって動物愛護のことを考えられるのも、「動物のことを考えられる余裕があるから」なんですよね。

自分が生きるだけでも精一杯な人たちにとっては、「そんなこと考えている場合じゃない!」という問題だと思います。

日本がそういう状態だったとき・・・戦争中、犬や猫などといった動物たちは、どうされていたでしょうか?

食料を余計に食いつぶす」などといった理由で、国の手によって片っ端から袋に入れられ、逃げないように入り口を固く閉められて、暴力を振るわれて殺されたのです。

その時は有り余る食料なんて無かったわけですから、動物のことなんてとても考えられる余裕が無かったのです。

今でこそ日本は多量な食料廃棄国なわけですが(食料自給率の問題と併せて、これは解決しないといけない問題ですけどね)、こんな時代もあったわけです。



そして、世界を見ると、発展途上国や戦争をしている国の中では、かつての日本のような国が、まだまだあります。

毛皮を作ったり、動物を捕獲したりしないと、今日食べるものさえない。

その仕事がなければ、次の仕事が見つかる前に餓死してしまう。

そんな人がたくさんいるのです。

「毛皮反対!」「動物を殺すな!」「肉食反対!」

そう叫びたくなる気持ちはわかります。

でも、それなら「人間みんなが動物のことを考えられるほど余裕のある生活をしていける世界」を作ることを考えるのが最優先事項なのでは、と思います。



現時点で「野菜だけで生活していける」のって、お金に余裕がある人の特権状態なんですよね。

野菜だけの食生活って、最近野菜が値上がりしていることもあって、肉や魚を加えた食生活に比べてお金がかかるんですよ。



だから、誰もがとれる選択ではないわけです。

そういった余裕のある社会になれば、菜食主義という方法をとれる人も増えると思いますし、肉にされる動物たちにも動物福祉を今以上に浸透させることができると思います。

「毛皮反対」や「肉食反対」のようなやり方は、現段階での貧困層の方たちから仕事などを奪い、動物の代わりに犠牲になってしまうという形で別の部分に犠牲が出てしまうだけだと思うので、賛同はしかねますね・・・。



動物愛護を考えるなら、まずは人間から。



そんなことを改めて思いました。

いつかそんな世界が来るといいですね。



動物愛護の皆様、もし気分を害したら申し訳ございません。

一個人の意見として聞き流して頂いて結構です。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。